本市は、古くは「科野の国」の交通・文化の中心地として、平安時代から江戸時代には文人墨客※1の憧れの地「さらしな」として知られ、国指定の史跡「埴科(はにしな)古墳群
森将軍塚古墳」や名勝「姨捨(田毎の月)」・重要文化的景観「姨捨の棚田」、稲荷山の「重要伝統的建造物群保存地区」、開湯120年を超える「戸倉上山田温泉」などが今日も息づいています。
また、昔から首都圏、中京圏、北陸圏と結ばれ、人・物の盛んな交流が活力を生み出してきた高い交通利便性を有し、100万人を超える長野県民が住む長野・上田・松本の3地域への移動時間がほぼ等しい地に位置しています。
この特性を最大限に活かした「交流拠点都市」として、有形・無形の歴史文化や自然等、市内の各地域が持つ資源をさらに磨き上げ、それぞれの地域の連携・交流を高めるまちづくりを進め、躍動感あふれ勢いのある「史都」の創生を目指します。
※1 文人墨客…詩文・書画などの風雅の道にたずさわる人。 |